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「見知らぬ誰かのために」

PHOTONEXTでは、さまざまなブースを見てまわるのと、滅多に会えない友人たちとの再会が、私にとっての大きな楽しみのひとつです。しかし今回は、4つのセミナー登壇があり、例年のようにブースをじっくり見学する時間が取れませんでした。友人たちとの再会もごく短い時間しか取れず、少し寂しさが残るイベントとなりました。それでも、セミナーを通して新たな出会いもあり、それはそれで良い結果だったとも思っています。



実を言うと、今回にはもう一つ、もっと重要な目的がありました。来日中の“ある人物”とのミーティング——それと、それに繋がる下地づくり。それが、今回最大のミッションだったのです。

「重要な…」なんて書くと、気になりますよね。

でも、まだ内容はお話しできません。ごめんなさい。

ただひとつ言えるのは、フォトグラファーの撮影後の仕事の効率を上げ、収入も向上させ、同時にメーカーにも喜んでもらえる、そんな可能性を秘めたプロジェクトです。



私はかつては同じ志を持つ仲間たちと「匠和尊塾(しょうかそんじゅく)」という勉強会を主宰していました。アマチュアの“プロ化”が進む現状に危機感を覚え、技術や知識の足りない若手フォトグラファーを、一日も早く一人前に育てようと、ボランティアで活動していたのです。

一時は全国から40名以上が参加し、夏と冬に合宿を行っていました。けれど、新型コロナ・ウイルスはその活動にも大きな影を落としました。


仕事を失い、収入が激減するフォトグラファーたち。私は心を繋ぎとめようと、オンライン定例会を企画しました。しかし、

「欠席の連絡が面倒くさい」「なんでもっと教えてくれないんだ」

そんな声まで出始めます。やがてはメンバーを“踏み台”にして仕事を奪おうとする役員まで現れ、ついには解散を選ばざるを得ませんでした。



横浜ではキヤノンのインクジェットプリンター開発の父、中島さんが会いに来てくださいました
横浜ではキヤノンのインクジェットプリンター開発の父、中島さんが会いに来てくださいました

一時期は、人間不信に陥るほどの精神的ダメージを受けました。でも、なんとか立ち直り、現在のオンライン・サロンをスタートしました。元塾のメンバーも多く参加してくれ、そのことが私の心を救ってくれた気さえします。



いまの活動は、かつて塾を運営していた頃を思い出させてくれます。

「匠の技で人に和をもたらし、人を尊ぶ者が集う場所」そんな思いを込めて、私はその塾に「匠和尊塾」と名付けました。吉田松陰先生の松下村塾の名に倣い、「令和の志士たれ」という思いを込めました。



現在は、ひとりで活動する“スタンドアローン”な立場ではありますが、お天道さまはちゃんと見てくれているのでしょう。

必要な人と出会い、そのつながりがまた新たな出会いを呼び、私を必要としてくれる。

かつてとは違うスケールで、私は今、志を貫こうとしています。

すべての出会いに、心から感謝を込めて。

「見知らぬ誰かのために」

これは『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング』で、ルーサーが最後に言ったセリフですが、私の心に深く響き離れません。


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