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フォトグラファーは何で選ばれるべきか──価値の本質を問う

更新日:7月19日

先日、ウエディング業界大手で前撮りをした方が「有り得ない写真を納品された。泣き寝入りするしかないのか?」と写真付きで投稿し、大きな波紋を呼んでいました。


添付された写真をめぐり、同業者らしき人たちからは辛辣なコメントが飛び交い、「これでは撮影したカメラマンが立ち上がれないのでは」と思うほどでした。



私は海外コンペのジャッジもしています。そのせいで、職業病的に写真を美術史や構図理論などの観点から評価してしまいます。

ただ、SNSでのコメントを読むと、論理的に見えても実は的を射ていないものが多いと感じました。


そもそも今回の問題の本質的な原因は何か。私は、事業者側に大きな責任があると考えてい

ます。


  • 利益を優先し、安価に使えるフリーカメラマンを多用する

  • 社員カメラマンも経験が浅い場合が多い

  • サンプル写真は腕の良い人を雇って撮影するが、実際は同等のレベルの人材がいない


安いギャラでは経験の浅いカメラマンしか集まらないのが現実です。お客様はサンプルを見て「自分も同じクオリティで撮ってもらえる」と期待します。それは当然だと思います。

では、お客様側には責任は全くないのでしょうか。実は、完全にゼロとは言えないと思っています。(今回の方がそれに該当するかは解りません)



以前、私のところにこんなメールが届きました。

「今度、東博で前撮りをします。故島さんの作風が好きなので、レタッチだけお願いできますか?」

もちろんお断りしました。

どんなフォトグラファーも、撮影に全力を尽くしているはずです。自分の写真を知らないうちに他人にレタッチされたら、どんな気持ちになるか。私はその気持ちを大事にしたいと思いました。


そもそも、私の作風が好きなら、なぜ私に撮影を依頼しないのでしょうか。恐らく「撮影は安価に別の人に頼み、仕上げだけ私に寄せよう」という意図だったのでしょう。でもそれって、本当に撮影者にも私にも失礼であるという事さえ、想像できないのでしょうか?お客様は神様なのでしょうか?いいえ違うと思います。自分で作れないものだから買うので有り、買っていただく側はそれで生計を立てる。持ちつ持たれつです。



資本主義社会では、売る側・買う側の双方に責任があります。写真も同じだと思います。

私は、ただ「消費されるだけの写真家」にはなりたくありません。自分の感性を磨き、個性を出し、見えない努力を積み重ねてきました。

だから安売りはしません。他社より高いと思われても、それは私にとって適正価格です。むしろ安いと思っています。

価値が見合っているかを判断するのはお客様です。そしてありがたいことに、私に撮影を依頼くださるのは本当に素敵なお客様ばかりです。心から感謝しています。本当にありがとうございます。



と、そんな真面目なことを考えていたら、SNSでは「学校写真、L版1枚300円は高すぎる!」という別の投稿が炎上していました。

「それでも赤字なんです」「だったら撤退しろ」と、また新たな火種が…。

それを書いてる親御さん、L版1枚1,500円の推し活してないっすか?w

東京国立博物館の写真ってこれかな?
東京国立博物館の写真ってこれかな?

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