才能?その多くは・・・
- 故島永幸
- 6月19日
- 読了時間: 4分
先日のセミナーで、参加者の方から「自信が持てない」という声がありました。同じタイミングで、美大や写真の専門学校を出ていないことにコンプレックスがある、という友人のSNS投稿も目にしました。
実は、私も昔はコンプレックスの塊でした。
学校どころか、師匠もいない。専門的な勉強はすべて独学。そんな自分がこの道でやっていけるのだろうか――独立前はいつも不安でした。
「本当に大丈夫だろうか?」「これで合ってるのだろうか?」
そんな気持ちで撮影して、データをMacで処理してようやく「よかった……」と胸をなで下ろす。そんな毎日でした。
だから本はたくさん読みました。撮影について、レタッチについて――とにかく手に入るものは何でも。
撮影に関しては、ライティングの本も何冊も買いました。けれど、どれも広告写真向けで、ストロボを10灯以上使ったような現実離れしたものばかり。私にとってはまったく参考になりませんでした。
結局、毎月定期購読していたファッション誌『VOGUE』の写真を見て、「このライティングはどうやってるんだろう?」と分析しながら、自分でテストする。この“トライ&エラー”こそが、今の私のベースになっています。

Photoshopの現像・レタッチについては、「電塾」の塾長・早川廣行さんが書かれた本をすべて購入して読みあさりました。いまも、字引のように時々ページをめくっています。
7年前、なんと塾長のお宅を訪ねるという夢のような機会が訪れました。そのとき、塾長が「そこの本、どれでも持って帰っていいよ」とご自身の著書の数々を指差してくださったのですが、私は「すみません、全部持ってます(笑)」と返しました。
すると塾長は「じゃあ」と言って、学術研究に参加されていたときに作られた非売品の学術書にサインをして、プレゼントしてくださいました。
映画監督を志す人がスピルバーグから未公開の脚本をもらったようなもの。まさに、私の宝物になりました。
デジタル写真の黎明期において、「電塾」が果たした役割は本当に大きかったと思います。何百万円も投資して手に入れた、当時の使い物にならないデジタルカメラ(笑)やシステム。会の名前を「電塾」ではなく「ハイエンド・デジタルカメラ被害者の会」にしようか、なんて冗談もあったと聞きます。
それでもあの場所は、業界に光を灯し、後進に道を拓いてくれました。本当に感謝しています。
当時は、毎月東京で行われる定例勉強会には参加することは出来ませんでしたが、現在はZoom参加も可能となり、リモートで参加させてもらっています。
とてもマニアックで、まるでオタクのような人たちが集まる場ですが(笑)、毎回楽しく学ばせてもらっています。興味のある方は、ぜひ私にお声がけください。
そんなふうにして、私は独立を迎えました。
あるとき、取引していたラボの方から「デジタル写真についてセミナーをやってほしい」と依頼をいただきました。独立1年目の私に……?
とはいえ、お世話になった方からのお願いです。私は引き受けることにしました。
当日は30名ほどの写真館の先生方が集まり、私は自分のワークフローについてお話ししました。うまく伝わったのか、自信はまったくありませんでした。退屈な話だったのでは……と心配していた数日後、ラボの方から連絡がありました。
「皆さん、すごく勉強になったとおっしゃってました。ただ……“あそこまではできない”と。」
はい(笑)。自分に「プロならこれくらいは当然できるべき」と課題を課し続けた結果、気づけば周りの多くのプロが知らないこと、できないことまで深掘りしてしまっていたのです。
いまでは、いろんな場所でセミナーをさせて頂いたり、2年前には芸大写真学科の学生さんに作家論の授業までさせて頂きました。
そんなこんなで、今はコンプレックスも無くなってきています。(完全に0ではないw)
でも、世の中には上には上がいます。
世界は広い。コンペの応募作品を見ていて、自分がジャッジしていることを忘れ、「ああ、こんな発想力が欲しい……」と思うこともしょっちゅうです。
時折、「うらやましい」と言ってくださる方もいますが、実情はこんなものです。「才能」だと思われることの多くは、見えない努力の積み重ねなんですよね。
今日、遊びに来てくださったお隣・うどん県の大先輩がおっしゃっていました。
「写真館はまず、記念写真をきちんと撮れるようになること。それから崩した写真を撮る。何事も基本があってのもの。」
それを聞いて思い出しました。坂東玉三郎さんの言葉です。
「型があるから、型破り。型が無ければ、型無し。」
今の写真業界、右も左も……?(^^ゞ
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