批評より挑戦を——SNSより作品づくりへ
- 故島永幸

- 10月31日
- 読了時間: 3分
昨日のブログに、珍しくコメントや引用を少しいただきました。内容は、プロの仕事に対する一般の方からの苦情に関して、私たちの業界の運動会撮影を例に挙げたものでした。どのコメントも理解できるものでした。
現場は二度と同じにならない
撮影をされる方ならお分かりだと思いますが、同じ条件はまずありません。対象が風景でも人物でも、光・気温・湿度・天気・お客様——条件は目まぐるしく変わります。
プロはその都度、その瞬間のベストを探ります。これは写真に限らず、どの分野でもプロが行っている営みであり、私はその行為に敬意が払われるべきだと思います。
忘れてはならない、プロの姿勢
一方で、行為を行う側は常に最善を求める姿勢と、それを具現化する技術を備える必要があります。技術という引き出しをどれだけ持っているか。そして、どのタイミングでどの引き出しを開くか。
ここが難所です。日常のルーチンだけでは鍛えきれません。頭を柔軟に使うトレーニングが必要です。
私のトレーニング:In Cameraへの挑戦
私はいまジャッジの立場にいますが、特定のコンペへの応募を続けています。理由は単純で、自分自身がまだ進歩したいからです。
つまりトレーニングです。
今年は初めてIcon Awards の In Camera(RAWでの応募・処理不可)カテゴリーに応募しました。一般にはレタッチ可、合成可の部門もありますが、In Camera はホワイトバランスすら変更不能。
これまで避けてきた分野に挑んだのは、前々回の勝者、Kris Andersonの作品に衝撃を受けたからです。合成なら容易なことを、工夫で一枚に写し込む——そこにフォトグラファーのプライドを見た気がしました。
結果、自分らしい作品を形にでき、運営からも「どうやって撮ったの?」と問い合わせが届きました。ジャッジから質問が来るだろう、という意味で、インパクトとオリジナリティは伝わったのだと思います。(まだ結果発表前のため非公開なのが残念ですが。)
海外コンペは“引き出し”を増やす最良の場
結論として、引き出しをいつ・どこで使うかを鍛えるには、海外コンペは非常に適していると考えます。多様なカテゴリーに、各国のジャッジが客観的な評価軸で臨むため、学びが多いからです。
終わりに
SNSの反応に一喜一憂するより、作品づくりに挑戦してみませんか。表現者としての本質を思い出し、自分の哲学を育てるきっかけになるはずです。

昨年作った作品
黒い下着の女性は娼婦を表し、豚は欲望のままに生きる生き物。それぞれ貪欲や罪の象徴として西洋画では扱われます。
宙に舞う新聞は、新型コロナが確認された時のものに、ウクライナとガザの戦争勃発の第一報です。
私利私欲に走る政治家を揶揄する作品として作りました。
美術は作家が何をメッセージするか?という哲学がそこに描かれます。観る側は「読み解く」という側面も持ち合わせます。









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