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足立美術館へ


【足立美術館】──横山大観と、その背後にある教え


出雲大社を後にし、向かったのは足立美術館。以前から訪れてみたいと思っていた場所のひとつです。

まず圧倒されるのは、やはり日本庭園の美しさ。どこを切り取っても手入れが行き届き、建物の窓から眺める風景は、まるで一枚の絵画のようでした。


この美術館をつくったのは、実業家・足立全康氏。「庭園もまた一幅の絵画である」という信念のもと、美と日本文化を後世に伝えたいという強い思いで、地元にこの美術館を築かれたそうです。その情熱たるものや、滝を作ってしまうほど。


館内の展示は、開館55周年記念の「横山大観の軌跡」と北大路魯山人の作品。


大観といえば、**朦朧体(もうろうたい)**と呼ばれる独特の表現で知られます。輪郭線をはっきり描かず、にじみやぼかしを活かして、情景全体の雰囲気や空気感を表す手法。もっとも、その作風を揶揄した評価として朦朧体と名付けられたそれは、印象派と同じです。


この朦朧体の技法を含め、横山大観に大きな影響を与えたのが、岡倉天心です。

私はこの岡倉天心という人物に、深い敬意を抱いています。

明治という激動の時代にあって、日本の美術を西洋の模倣ではなく、自らの思想と歴史の中に根ざした形で再生させようとした人物です。横山大観をはじめとする若い画家たちに、天心が教えたのは技術ではなく、**「日本人としての美意識」「絵とは何か」「生き方そのもの」**だったと思います。


彼の言葉「芸術とは自然そのものの提示ではなく自然を通しての暗示」。それはそのまま、私自身が写真を撮るときに向き合っているテーマでもあります。

展示を見ながら、ふと頭に浮かんだのが、私が長く心を惹かれてきた長谷川等伯の国宝《松林図》

墨の濃淡と空白で構成された等伯の世界と、大観のにじむような描写。技法は違えど、「描かないところに、何かを感じさせる」それこそ、天心の教えでした。


魯山人の焼き物は、正直解りません。(^^ゞ

焼き物は使ってこそ、その良さが解ると思うのです。かつて、利休が長治郎に焼かせた楽茶碗はどう見ても無骨です。しかし、手に持ったその時に両手に馴染む、それこそが利休の求めたものだったとか。


ところで、大観の作品ではこのたび、新たに収蔵された絶筆「不二」も展示されていましたが、わたしは「那智乃瀧」に心奪われてしまいました。いつか、ここを私なりに絵にしたい。



さて、観光もここまで。翌日からは2日間のセミナー講師にございます〜。



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