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Australian Photographic Prize、2年連続受賞。そして日本の写真業界に問いたいこと。

8月14日
読了時間: 5分

2年連続、Photographer of the Year。

昨夜、Australian Photographic Prize(APP)の結果がYouTube LIVEで発表されました。

はじめて応募した昨年に引き続き、今年もPhotographer of the Yearを受賞しました。部門はIn Camera(RAW撮影のみ・無修正)とWedding Creativeの2つ。加えてIn CameraとWedding Classicの2部門で2位という結果でした。

オーストラリアは優れたマスタークラスのフォトグラファーを多く輩出している国です。その舞台でこれだけの成績を残せたことは、素直に栄誉なことだと思っています。このコンペを運営し、審査してくださった皆さんに、心から感謝します。



なぜ、ジャッジになった今もコンペに応募し続けるのか。

私はいくつかのコンペでジャッジを務めています。それでも応募者として出品を続けているのには、理由があります。

自分の価値観、技術、演出が、世界に通用するかを確認するためです。

特にAPPには、他のコンペにはない仕組みがあります。Top30に残った作品の審査はライブで行われます。さらに「チャレンジシステム」が導入されており、1次審査の結果に納得がいかないジャッジが異議を唱えると、そのジャッジはその場でプレゼンテーションを求められ、他のジャッジはそれを聞いた上で、自分の採点の正当性や間違いを言葉にして語らなければなりません。その上で採点の見直しが行われます。



今回1位の2作品は、他のコンペ結果に納得いかないものでした。

この事実を、正直に書いておきたいと思います。

今回1位を受賞した2点は、いずれも別のコンペで期待通りの評価を得られなかった作品です。「この作品の価値を、チャレンジシステムのある場で改めて問いたい」——そう思い、APPへの応募を決めました。



1枚目——ルネ・マグリットへのオマージュ。

In Cameraカテゴリーで1位を受賞したのは、マグリットへのオマージュ作品です。

APP フォトグラファーズ・オブ・ザ・イヤー受賞作品
タイトル「Another ”Sun of Man”」

リンゴで顔を隠したマグリットの作品は、「見えているものに隠された不可視の真実」と「世界の不条理」を私たちに突きつけます。そのオマージュを通じ、オリジナルが持つ哲学を現代の視点で追体験し、再定義しようとしました。


そしてもう一つ、この作品には意図がありました。

AIによって画像の真実性が問われている今、一切の画像処理を行わないIn Cameraという、古典的手法で、現代のデジタル技術なしに表現してこそ、値打ちがあると考えたのです。まさに逆転の発想です。「どうやって撮ったのか?」という疑問に対して、ストレートに古典的技術で答える。それがこの作品のもうひとつのテーマでした。メイキング風景など詳しくはショート動画で。



2枚目——亡き父のシルクハットと、メガネ越しの視線。

APP フォトグラファーズ・オブ・ザ・イヤー受賞作品
タイトル「His Suit,His Hat,His Glasses.」

もう一枚の1位作品は、Wedding Creativeでの受賞です。

この作品のコンセプトを思いついた瞬間、私は確信しました。「これは間違いなく1位になる」と。複数のコンペで実際に1位を獲りましたが、最も評価を期待していたコンペでは3位以内にも入りませんでした。だからAPPで改めて問うことにしました。


作品は、結婚式の朝、新郎が亡き父のスーツとシルクハットを身につけ、父の肖像を見つめる場面——そして亡き父がメガネ越しにその息子を見ているという構図です。



85点から90点へ。チャレンジの一部始終。

5人のジャッジによる採点は86・81・93・86・81。合計で85点。90点以上のゴールドを期待していた私には、正直、残念な結果でした。

ところが最高点と最低点の差が10点以上開いたため、チャレンジが発動しました。

93点をつけたジャッジが最初に話します。彼女は感情的に、この作品に昂ぶった理由を熱く語りました。それを聞いた別のジャッジは自分の低評価を省みる言葉を口にし、また別のジャッジは細部を取り上げて自分の採点の正当性を述べました。

そして4人目——ジャッジのDarioが、私が作品に込めたストーリーのすべてを読み解き、語ってくれました。


再審査の結果は90・91・85・90・93。合計90点でゴールドを受賞し、それが今回の1位受賞へと繋がりました。



チャレンジシステムが守るもの。

この一連の経緯が、APPというコンペの本質を表しています。

奥深い物語を持つ難解と思われる作品が、1人でもそれを読み解けるジャッジがいれば、チャレンジによって正当な評価に辿り着けます。オンラインの採点だけなら、あの作品は85点のまま埋もれていたかもしれません。

本当に意味のある作品が、正当に評価される仕組み——それがこのシステムの存在意義です。



「落選」してラッキーだったこと。

少し話が変わります。

日本でもっとも権威があるといわれるコンテストに、一度だけ応募したことがあります。プロ・アマ問わず応募できるそのコンテストで、結果は「落選」でした。

正直に言います。私はこの落選を「ラッキー」だと思いました。

その作品は、海外コンペに出したかったものだったからです。入選していれば規定により他への応募ができなくなる。落選したから、出せた。結果として、2つのコンペで1位を受賞。そのうちの1つはカテゴリーを超えた年間最高位——グランド・オブ・ザ・グランドでした。

天と地ほどの差がある結果を、どう受け取るか。それはみなさんにお任せします。



コンペは、権威をもらう場所ではない。

改めて思うことがあります。

コンペは自分を成長させるためにあります。権威やお墨付きをいただく場所ではありません。

ジャッジをしている私自身も、常に試されています。ライブ審査であれば尚更です。コメントの仕方ひとつで、その人の見識と能力が白日の下にさらされます。



日本の写真業界への、率直な問い。

日本にはさまざまなコンテストがあります。しかしAPPのような、ライブ審査とチャレンジシステムを持つコンペは存在しません。

写真館を対象としたメーカー主催のコンテストに、今年で4年連続挑戦しました。結果は4年連続の入選止まり。上位入賞には届きませんでした。審査の透明性を外から確かめる術がない以上、それ以上のことは言えません。


ただ、こう思います。

海外のような運営のコンテストが日本に存在しないことが、フォトグラファーにとってだけでなく、写真という文化にとっても最大の不幸だと。

海外に向けて羽ばたくフォトグラファーを無視し、国内だけに目を向ける業界は、かつての「画壇」と変わりません。レオナール藤田——藤田嗣治は、帰国後に日本へ二度と戻りませんでした。同じ過ちが、繰り返されています。

写真はデジタル化という大地震を乗り越え、今、生成AIという地殻変動に直面しています。目を閉じたままの業界が、いつか目を開けてくれることを願っています。

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