JPEG vs RAW——問題はそこに無い
- 故島永幸

- 11月2日
- 読了時間: 2分
はじめに
この話題は定期的に湧き上がります。タイムラインではJPEG派とRAW派が持論をぶつけ合い、ときに罵倒へと変質します。私が気になるのは、どちらの主張にも相手の撮影対象やワークフローへの想像とリスペクトが抜け落ちがちなことです。
JPEG派:その場で仕上げ切る技術を誇示したいように見える。
RAW派:8bitで処理するなんて…という“上から目線”に見えることがある。
どちらも、相手が置かれている現場を見ていません。
私の結論:用途が決める
私は仕事ではRAWで撮ります。理由は明快で、レタッチ耐性の高さが必要だからです。頭の中にあるイメージへ後処理で近づける自由度を確保したいのです。
一方で、スマホではHEIF(※従来はJPEG)を使っています。機動性・共有の速さ・容量効率が優先だからです。
もし私が学校写真を撮るなら
大量のクラス撮影や記録写真を何百人分こなすなら、私はJPEGで撮ると思います。
記録性が主目的で、個別レタッチの必要性が低い。
納期・コストの現実。
そのうえで、ライティングと露出はきっちり整え、カメラのダイナミックレンジに収めます。
現場が違えば、最適解も変わります。
いがみ合う前に——向き合うべき大きな課題
匿名で互いを攻撃する時間があるなら、むしろ**「フォトグラファーという仕事の崩壊」や「写真文化の先細り」と、どう向き合うかを考えたいです。
私たちは表現者です。言論よりもまず作品で語り、Masterpieceで人の心を動かしましょう。
あっ!
そのためのステイトメント(言葉)は重要ですね(^^)。

国宝「松林図屏風」。
長谷川等伯が武士の世界に翻弄されながら命をかけて描き上げた。
故郷、能登の松林を思い出し暗闇の中を無心に描いた。
気に入るもので無くば命を取ると言った太閤秀吉さえも、これを観た時、涙したと言う。
私が写した松林図がどこで有るかは問題ではない。
探しても無駄、こんな風景はどこにも無い。
私のイメージの中にある風景なのだから。
「私は私の見た世界を、皆に見せる為の機械だ。」
ジガ・ヴェルトフ (映画監督)











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