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JPEG vs RAW——問題はそこに無い


はじめに

この話題は定期的に湧き上がります。タイムラインではJPEG派RAW派が持論をぶつけ合い、ときに罵倒へと変質します。私が気になるのは、どちらの主張にも相手の撮影対象やワークフローへの想像とリスペクトが抜け落ちがちなことです。


  • JPEG派:その場で仕上げ切る技術を誇示したいように見える。

  • RAW派:8bitで処理するなんて…という“上から目線”に見えることがある。


どちらも、相手が置かれている現場を見ていません。



私の結論:用途が決める

私は仕事ではRAWで撮ります。理由は明快で、レタッチ耐性の高さが必要だからです。頭の中にあるイメージへ後処理で近づける自由度を確保したいのです。

一方で、スマホではHEIF(※従来はJPEG)を使っています。機動性・共有の速さ・容量効率が優先だからです。



もし私が学校写真を撮るなら

大量のクラス撮影や記録写真を何百人分こなすなら、私はJPEGで撮ると思います。


  • 記録性が主目的で、個別レタッチの必要性が低い。

  • 納期・コストの現実。

  • そのうえで、ライティングと露出はきっちり整え、カメラのダイナミックレンジに収めます。


現場が違えば、最適解も変わります。



いがみ合う前に——向き合うべき大きな課題

匿名で互いを攻撃する時間があるなら、むしろ**「フォトグラファーという仕事の崩壊」「写真文化の先細り」と、どう向き合うかを考えたいです。

私たちは表現者です。言論よりもまず作品で語り、Masterpieceで人の心を動かしましょう。


あっ!

そのためのステイトメント(言葉)は重要ですね(^^)。



霧の中の松林
松林図

国宝「松林図屏風」。

長谷川等伯が武士の世界に翻弄されながら命をかけて描き上げた。

故郷、能登の松林を思い出し暗闇の中を無心に描いた。


気に入るもので無くば命を取ると言った太閤秀吉さえも、これを観た時、涙したと言う。


私が写した松林図がどこで有るかは問題ではない。

探しても無駄、こんな風景はどこにも無い。

私のイメージの中にある風景なのだから。


「私は私の見た世界を、皆に見せる為の機械だ。」

                            ジガ・ヴェルトフ (映画監督)


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