KYOTO GRAPHY 続き
- 故島永幸
- 4月21日
- 読了時間: 2分
SAMURAI FOTOの会場を後にし、近辺の展示会場を歩いてまわります。
京都文化博物館別館では、インドのプシュパマラがステージド・フォトを展開していました。

なんとスポンサーはCHANEL。
さすがにスケールが違います。
彼女は背景を自ら布に描き、そしてその世界に自分自身が登場人物として入り込み、作品の主役となります。
展示されていた作品はどれも大きなサイズで、まるで絵画を見ているような感覚。展示方法もスケールが大きく、費用がかかっていることが一目でわかります。
この人に限ったことではありませんが、アート界隈では「写真そのものの上手さ」よりも、**“何を語るか”“何を問いかけるか”**が重視される傾向があります。
ある意味、写真がうまくなくても成立してしまう世界。

けれど、基礎となる技術を軽んじるような姿勢には、正直、私は共感しにくいです。フォトグラファーとして、やはり「技術」は作品の背骨であると思っています。
次に立ち寄ったのは八竹庵(旧川崎家住宅)。ここでは「リトルボーイ」というタイトルの展示が行われていました。

“リトルボーイ”とは、日本人にとって決して忘れられない、人類史上初の核攻撃で使用された原子爆弾の名前です。
そのふざけた名の爆弾は、広島に落とされ、およそ14万人の命を奪いました。
展示されていたのは、爆撃機から撮影された爆発後の雲の写真と、被害者が着用していたワンピースの写真、2点のみ(ここは撮影禁止でした)。
真っ暗な会場に不穏な音響が響き、観る者の感情を、確実に揺さぶります。
この2枚の写真を前にして、あなたは何を感じるでしょうか。
当時も今も変わらず、戦時国際法において非戦闘員の殺傷は戦争犯罪です。にもかかわらず、14万人もの命を奪った作戦を指揮した人物たちは、果たして罪に問われたのでしょうか?原爆だけではありません。東京をはじめ日本各地に焼夷弾が落とされ、街が焼き尽くされたこともまた、同様に問い直されるべきでしょう。
最後に、この問いを添えて、今日はここまで。
次回、最終回へ続きます。
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