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プロフィール / Profile.

フォトア�ート・コジマ 代表取締役 フォトグラファー 故島永幸

photo : EMI TSUGAWA

故島 永幸 こじま ながゆき

徳島県美馬市 産まれ

グローバル・アンバサダー

   EIZO Coloredge  

   Fundy Designer.

   Retouch4Me  

​各社、商品購入の際に割引価格となるクーポンを頂いています。ご入り用の方はご連絡下さい)

個展 

 2012年:視覚の終焉(徳島県美馬市) 

 2017年:色は匂えど散りぬるを(徳島県徳島市)

 2022年:My Work , My Life(キヤノン・オープンギャラリー)

資格

 BIPP(英国プロ写真家協会)ダブル・フェローシップ

 WPE(ワールドカップ) 国際審判員

 AsiaWPA(HKG) 国際審判員

 WPE(FRA) 国際審判員

    NIPA(UAE)  国際審判員

称号

 icon( USA)  マスター・フォトグラファー

 AsiaWPA(HKG)  マスター・フォトグラファー

 WPE(FRA) マスター・フォトグラファー

 Cosmos (GRC) ダブル・マスター・フォトグラファー

 EPA(ITA) ダブル・マスター・フォトグラファー

私は、四国山地と讃岐山脈にはさまれ、日本三大暴れ川の一つ「四国三郎・吉野川」が流れる自然豊かな町、歴史ある城下町「脇町」で生まれ育ちました。
授業中、校庭や空の雲をぼんやり眺めては先生に注意される・・・そんな子供時代。春は裁判所の桜、夏は阿波踊りのぞめき、秋は黄金色のイチョウ、冬は兄姉と雪だるまづくり。いまでもその四季の匂いを、はっきりと思い出せます。自然とともに過ごした日々が、私の感受性の原点です。


家族は祖父母と両親、兄姉を含めた7人暮らし。着物姿で正座を崩さなかった厳格な祖父、優しく愛される祖母、論理的な思考で私に影響を与えた父、洋裁で家計を支えた美しくセンスのよい母。何でもできた憧れの兄、そして、かけがえのない思い出をくれた姉。
今でも鮮明に覚えている出来事があります。私がまだ3歳くらいの頃、姉とふたりで母の実家へお使いに出かけました。狭い路地を歩いていると、突然、前を大きなヘビが横切ったのです。小さかった私はその場に立ちすくみ、恐怖で足がすくんで動けなくなってしまいました。泣きそうになっている私に、姉は何も言わずしゃがみ込んで背中を差し出し、私を背負ってくれたのです。あの時の姉の強さと優しさは、私の心に深く刻まれています。一緒に笑い、よくケンカもした最高の姉です。

現在は、父と妻、三男との4人暮らし。3人の子供達は皆やさしく人を思う人間に成長してくれました。それぞれ、自分の道を歩んでいます。妻には感謝の言葉しか有りません。サラリーマンからフォトグラファーに転職し、いまだに苦労をかけっぱなし。仕事だけでなく、健康を気遣い食生活でもいろいろ考えサポートしてくれています。そんな、家族の支えがあり私は今も生きています。改めて、みんなありがとう。

写真には、撮る人の人生観や哲学が写ります。私が徳島の地に生まれ、家族とともに過ごしてきたすべてが、今の写真に影響しています。写真家は、ときに小説家、演出家、脚本家、映画監督、美術監督、編集者、デザイナー、コピーライターの役割を担います。
写真家ルイジ・ギッリはこう言いました。
「写真家とは、外部世界についてイメージという見地に立ち、必要な応えを出すべく、経験、職業的専門性、豊かな文化的知識をたずさえ行動する者」
まさにその通りだと、私は思います。


私は、私ひとりでできているのではありません。自然、社会、人、家族、そしてすべての「出会い」が、今の私を形づくっています。かつて「視覚の終焉」という作品を発表したとき、オリジナルとは何かという問いに向き合いましたが、いまだ答えは見つかっていません。ひとつ言えるのは、人はそうやって成長を続けるものだという事です。これからも、私は私でありながら多くの人やモノに影響を受け続けるのでしょう。そうやって社会や人と繋がりあい、自然の中で生かされ続けることを「幸せ」と言うのだと思います。​

フォトグラファー 故島永幸

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