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その写真は「記録」か「加工」か。生成AIが作る「擬似記憶」の落とし穴



先日のAIと写真についてのブログはお読みいただけましたでしょうか? あの記事を書いた後、非常に多くの反響をいただきました。

その多くは私の意見に賛成してくださるものでしたが、中には、前回のブログでは触れていなかった深刻な問題についての報告もありました。

それは、七五三やニューボーンフォトなどの記念撮影において、「親がスマホで撮った写真に、生成AIで豪華な着物を合成し、プロが撮ったかのような写真に仕上げてSNSに投稿する」というケースが目立ち始めた、というものです。

私のスタジオにお越しくださったお客様からも、知人から「写真館に行かなくても、AIを使えばいい写真が手に入るよ」と、実際に合成された写真を見せられたというお話を伺いました。

価値観は人それぞれかもしれません。しかし、写真に携わる者として、あえてお伝えしたいことがあります。

七五三の「本来の目的」とは

本来、七五三という行事の目的は何だったでしょうか。 まだ医療が発達していなかった時代、多くの子供は成長の途中で命を落としました。 三歳、五歳、七歳まで無事に生きられたことを神様に感謝し、産まれた時に用意した産着を着て、報告のために神社へ行く。これが七五三の原点です。

その際、家族も正装してお詣りした姿を、一生の記念として残すために写真館で撮影をする。それが、今の七五三の形に繋がっています。

二度と戻らない「今」を写すニューボーンフォト

ニューボーンフォトは比較的新しい文化ですが、そこにある想いは共通しています。 十月十日、お腹の中で共に過ごしたお母さんが、初めて我が子を抱いた時の感動。 そして、二度と戻らない、産まれたばかりの愛おしい瞬間を形に残すことが目的であったはずです。

「擬似記憶」を渡された子供の心

では、その子が大きくなって、生成AIによって作られた写真を見たとき、どう思うでしょうか。

そこに写っているのは、「偽りの記録」であり「作られた記憶」です。 一生懸命準備した着物も、共に過ごした空気感も、すべてが作り物の「擬似記憶」だと知った時、子供はどう感じるでしょうか。

プリクラ世代の人たちは、美しく加工された自分を見て満足し、「素の自分なんてあり得ない」と言うことをおっしゃいます。大人が自分の意思で楽しむ分には、それでも良いでしょう。 しかし、子供は親が残す写真を選ぶことはできません。

「安上がりな擬似記憶」を押し付けられた子供は、そこに親の真実の愛情を感じることができるのでしょうか。

最後まで心に寄り添うのは「本物」だけ

人は誰しも歳を重ね、やがて老いていきます。 人生の終盤、過去を思い出し、懐かしむとき。もしその大切な記憶がすべて「加工されたもの」に置き換わっていたとしたら、その虚しさに耐えられるでしょうか。

親と別れるとき、あるいは自分自身が人生の幕を閉じるとき。 アルバムをめくり、私たちの心を本当に癒やしてくれるのは、加工された美しさではなく、不器用でもそこにあった「本物の愛情」の記録だけなのだと、私は信じています。

幸せな家族の写真
幸せな家族の本当の姿はAIには作れません


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