スタイルの確立への旅(その2)
- 故島永幸
- 8月13日
- 読了時間: 3分
友人たちのコンペ応募に焦りを感じ、2017年秋、ついに私も初めてWPPIに応募しました。4点応募した結果──2点が入選。
周りの友人たちは誰も入らず、私だけが入選しました。喜んでいいのか複雑な気持ちでしたが、ここは素直に喜ぶことにしました。
WPPIの入選は、100点満点中80点以上から。私の2点はいずれも80点ジャストでした。
でも「入選率50%。この調子でいける!」そう思うと同時に、入賞が大きなモチベーションとなりました。「自分のやってきたことを続ければ、きっとまた入選できる」──そう信じていました。
しかし、現実はそう甘くありませんでした。
翌年も同じくWPPIに挑戦。年始のプリントコンペ(2017年度のファイナル)では、気合いを入れて12点応募しましたが、入選はわずか1点。しかも80点。
その年のオンラインコンペ1回目は1作品、2回目は2作品が入選したものの、いずれも80点止まりでした。
「いったいどうすれば、もっと高得点を取れるのだろう…」模索の日々が続きます。
そんな中、海外のマスターたちのセミナーを受講したり、入賞作品を何度も見返すうちに──自分に足りないものが、おぼろげながら見えてきたのが2018年の秋頃。コンペ挑戦から1年が経ったときでした。
確証はなかったものの、その気づきを作品に込め、プリントコンペに応募。
そして、友人の山下ニコラスに誘われ、ラスベガスで初めてライブジャッジを見学しました。

応募された数々の素晴らしい作品。どれも感動的なのに、容赦なく落選させられていきます。しかし、ジャッジたちはその理由を明確に言葉で説明します。
「これ以上の学びはない」──そう思いました。
やがて、自分の作品が登場。心臓が破裂しそうなほど鼓動が早まり、「この音、周りに聞こえるんじゃないか」と思うほど。この高鳴りは、スキーのバッジテスト以来かもしれません。中には緊張のあまり気分が悪くなる人もいるほどです。
結果、私の作品は88点を2作品が獲得。他にも複数84点というハイスコアで、それまでの80点止まりから、大きく評価が上がりました。
その時点での最高得点は私の88点。「もしかして…1位取れる?」──そう思った瞬間、後に出た作品が89点をマークし、希望はあっけなく崩れました。
それでも、88点が2作品も出たことは夢のような出来事。残念な気持ちはあったものの、謙虚にシルバー・ディスティンクションを喜ぶことにしました。
そして翌日に迎えたラスベガスの夜。ニコラスが言いました。「アワードセレモニーには絶対出たほうがいいです。いつか自分もあの壇上に立ちたい、そう思わせてくれるんです。」
──このアワードセレモニーが、私の人生を大きく変えることになるとは、まだ知る由もありませんでした。
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