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SNSで完結させていないか——写真家の責務を問う



アートも、ネットで買う時代に

アート購入もネットで選んでネットで買う流れが広がっているらしい。

現物確認を省いても成立する局面が確かにある。——作家の他作品を知っている、色やメディアの質感を把握している、熱心なコレクターや投機目的である。

ただ、今回の焦点はそこではない。作家自身がSNSで発信できる時代に、現物を見ずに“見た気”になってしまうことだ。



データとプリントは、同じ“情報”でも体験が違う

私の写真を例に挙げるなら、データで見たそれと、プリントしたそれは別物である。それは、見た人達がいうから、間違い無いだろう。

なぜ、違うのか?それは、プリントする用紙の選択に始まり、装丁をどう仕上げるのか?

飾られるまでを考えて作っているからに他ならない。



同じ料理でも“時間”が変わる

想像してほしい。一流のフレンチ。

ひとつは、紙皿に盛られた料理を会議室で立ったまま、割り箸で

もうひとつは、磨かれた白い器に盛り付け、清潔なテーブルクロス揺れるキャンドルさりげなく花が生けられ、照明は少し落とし、隅ではピアニストによる、静かなジャズが流れている。サービスは穏やかで、香りが立つ。


どちらが心の記憶になるかは、言うまでもない。写真も同じだ。作品はファイルで完結せず、「どんな紙に、どんな装丁で、どんな場に置くか」までが作品である。私はそのすべてを含めて作っている。


——自分の作品を紙皿に載せて売るのか。 それとも、しつらえまで含めて届けるのか。



フォトグラファーへ

今時のフォトグラファー諸氏に伝えたい。

あなたは、自分の作品を紙皿に載せて売りますか?

それとも・・・


まずは、自らの感受性を上げることの、行動を起こすべき。

話はそれから。



正絹の生地に軸装した私の作品。掛け軸としての装飾は極限まで省き、作品同様にミニマルに仕上げた。床の間だけでなく、洋間にも合わせて頂ける。
正絹の生地に軸装した私の作品。掛け軸としての装飾は極限まで省き、作品同様にミニマルに仕上げた。床の間だけでなく、洋間にも合わせて頂ける。

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