SNSで完結させていないか——写真家の責務を問う
- 故島永幸

- 10月28日
- 読了時間: 2分
アートも、ネットで買う時代に
アート購入もネットで選んでネットで買う流れが広がっているらしい。
現物確認を省いても成立する局面が確かにある。——作家の他作品を知っている、色やメディアの質感を把握している、熱心なコレクターや投機目的である。
ただ、今回の焦点はそこではない。作家自身がSNSで発信できる時代に、現物を見ずに“見た気”になってしまうことだ。
データとプリントは、同じ“情報”でも体験が違う
私の写真を例に挙げるなら、データで見たそれと、プリントしたそれは別物である。それは、見た人達がいうから、間違い無いだろう。
なぜ、違うのか?それは、プリントする用紙の選択に始まり、装丁をどう仕上げるのか?
飾られるまでを考えて作っているからに他ならない。
同じ料理でも“時間”が変わる
想像してほしい。一流のフレンチ。
ひとつは、紙皿に盛られた料理を会議室で立ったまま、割り箸で。
もうひとつは、磨かれた白い器に盛り付け、清潔なテーブルクロス、揺れるキャンドル、さりげなく花が生けられ、照明は少し落とし、隅ではピアニストによる、静かなジャズが流れている。サービスは穏やかで、香りが立つ。
どちらが心の記憶になるかは、言うまでもない。写真も同じだ。作品はファイルで完結せず、「どんな紙に、どんな装丁で、どんな場に置くか」までが作品である。私はそのすべてを含めて作っている。
——自分の作品を紙皿に載せて売るのか。 それとも、しつらえまで含めて届けるのか。
フォトグラファーへ
今時のフォトグラファー諸氏に伝えたい。
あなたは、自分の作品を紙皿に載せて売りますか?
それとも・・・
まずは、自らの感受性を上げることの、行動を起こすべき。
話はそれから。












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