「手段は選ばない」という宣言——拉致問題と日本の覚悟
- 故島永幸

- 11月6日
- 読了時間: 3分
この手のテーマはSNSなどでは、非常に関心が薄い。しかし、だからと言って知らんぷりはしたくない。他人の痛みを知らずして、愛を語るフォトグラファーたり得るハズもない。
高市首相が、北朝鮮拉致被害者の帰国(本当は「奪還」と言いたい)に向け、「私は手段を選ぶつもりはない」と明言した。発言の場は「全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会」。すでに北朝鮮側に日朝首脳会談の打診も行ったという。
かつての自分は政治に無関心で、9条は素晴らしい——そう信じていた。だが、北朝鮮による拉致で考えは一変した。親として、我が子が突然いなくなる。手がかりはない。やがて「北朝鮮に拉致され、そこで暮らしている」と知ったとき、家族の胸中はいかばかりか。
そこからが本当の地獄だ。
どこにいるか分かっているのに、救えない現実。
国家は国民の生命を守る義務を負う——これは世界の常識だ。にもかかわらず、日本は法制度と運用の壁に縛られ、「何もしない」ことを正当化してきた。
9条2項が「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を掲げる以上、対国家の武力行使は厳しく制限される。少なくとも「救出のために国家が何をどこまでできるか」を正面から詰めてこなかった事実は重い。
さらに、拉致に関与した可能性が取り沙汰された人物が野放しに近い状態で推移した時期がある。関係先へ公金が流れていたとの指摘も、被害者家族の心をえぐってきた。
彼らの50年近い歳月に安息はなかったはずだ。「日本は平和だ」という言葉は、彼らの前では偽りの平和にしか聞こえない。
救出を現実にするには、憲法・法律・運用を「人命救出を最優先」にする議論が欠かせない。だが相手は核弾頭搭載ICBMを持つ国家だ。アメリカでさえ軽々とは動けない現実がある。 当然だが、外交は相手にメリットが有るかどうかで決まる。
かつて日朝交渉が前に進みかけて止まった事がある。イランから核開発の為に流れた豊富な資金に、日本との交渉は不要となったと言われる。外的要因で一気に方向が変わることを示している。
小泉政権下の2001年、東京ディズニーランド目当てで不法入国した金正男が確保されるも強制退去処分で国外へ。「交換」に使えたのでは——と悔やむ声もある。彼は16年後毒殺された。暗殺を指示したのは、異母兄弟の現指導者だと言われる。
いずれにせよ、時間は残酷だ。娘達の帰りを待った、横田滋さん、有本明弘さんは願い叶わずこの世を去った。
今、首相が首脳会談を打診し、「手段は選ばない」と言い切った事実は重い。
だが、首相ひとりでは国は動かない。安倍元首相の時代を思い返せば、それは痛いほど分かる。今も、拉致議連は名ばかりに等しい状態だ。必要なのは、世論の持続的な圧だ。
家族に残された時間は少ない。ここで声を上げられるのは私たちだ。被害者と家族の「いま」を支えるのは、制度と外交、そして国民の関心である。どうか、高市首相の交渉と救出の取り組みを前に進めるために、声を重ねてほしい。私も、その一人でありたい。

国会議員が付けているから知る人も居るかも知れないブルーリボンバッヂ。
青色は、被害者の祖国日本と北朝鮮を隔てる「日本海の青」を、また、被害者とご家族を唯一結んでいる「青い空」をイメージしている。 これを国民が付けることも、後押しとなるに違いない。











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