作品に「座標」を——タイトルが必要な理由
- 故島永幸

- 11月8日
- 読了時間: 2分
ドイツのギャラリスト・Keikoさんが作品のタイトルについて書いていました。「“無題”ほど扱いに困るものはない。」売り手の立場から見ると、無題の作品は多くの鑑賞者が素通りしてしまうのだそうです。
作り手にとっても、タイトルは作品が伝えたいことを補う要だと私は認識しています。
だからこそ、タイトル記入不可のコンペは厄介です。私自身、時に一般的には難解と見なされる作品を作ります。ジャッジといえど、美術全領域を網羅する人は稀ですし、私も同じです。そこで私は、分かりやすい作品と難解な作品の両方を応募してリスク分散をします。
ジャッジとして作品を見るとき、まずは作品そのものを見ます。意図が読み解きにくい場合、タイトルを確認します。そこで読めなければ、コメントに必ずこう書きます。
「この作品は何を伝えたかったのでしょうか。タイトルからも読み解くことができませんでした。」次回以降の改善を促すためです。
海外審査では、日本語英語やローマ字だけのタイトルが意味を成さないことが多く見受けられます。さらに、場所や衣装など「見れば分かる情報」だけをタイトルにしても、作品に新しい理解や視点を与えません。タイトルは作品と並走するメッセージであるべきです。作品単体では拾いきれない意図・感情・問いを、短い言葉で補い、鑑賞者に入口を示してください。
私はタイトルだけでなく、ステイトメント記入欄があることを強く望んできました。今年、私がジャッジに就任したNIPAでステイトメントが書ける仕様になっていたのは、とても良い試みだと感じました。一枚の写真だけで全てを伝え切るのは難しい——だからこそ、熟慮したタイトルが必要です。
Keikoさんは結びにこう綴っていました。 「タイトルは、作家が作品に与える最初で最後の座標である。」

これはいくつものコンペで上位入賞した作品です。 このロケ場所を見た瞬間に、この構図を思いつきました。 しかし、結婚写真は二人の愛情表現です。
別々に立つには理由が必要です。
そこで、思いついたのが、結婚式に遅刻した新郎の物語です。 時間に来ない新郎に新婦は怒って仁王立ち。顔もそっぽ向いて言います。
新郎は、顔を上げる事が出来ません。w











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