人形師の指先に見た執念。フォトグラファーが学ぶその矜持。
- 故島永幸

- 2月6日
- 読了時間: 3分
先日、テレビ番組で紹介されていた「東久記念 雛屋(とうか ひなや)」さんの仕事ぶりを拝見し、言葉にできないほどの衝撃を受けました。
そこにあったのは、単なる「伝統工芸」という言葉では片付けられない、凄まじいまでの「ものづくり」の精神でした。同じ表現の世界に身を置くフォトグラファーとして、激しく心を揺さぶられたその想いを、ここに書き留めておきたいと思います。 歴史と現代の融合 かつて女優としてドラマやCMで活躍していた東之華さんは、雛人形製作の実演に魅了されたことを機に、独学で平安時代の宮廷装束や日本の色彩学を研究。装束に宿る美意識と文化的背景に始まり、十二単の着付けまで、人形作りに必要な要素を歴史から学びます。その歴史解釈から新しいスタイルの人形まで創作され、日本文化の継承と海外に向けての発信までされているそうです。
雛人形が紡いできた「身代わり」と「祈り」の歴史
多くの人は毎年、当たり前のように雛人形を飾りますが、私を含めその本当の意味をどれほど理解しているでしょうか。
雛人形のルーツは平安時代の「流し雛」にまで遡ります。もともとは、紙で作った人形で自分の体を撫で、穢れや災いを移して川に流す「形代(かたしろ)」でした。つまり、雛人形は子供の身代わりとなって厄を引き受けてくれる、究極の守り神なのです。
人形師さんが一針一針に魂を込める。それは、誰かの大切な子供が一生幸せであるようにという、家族の切実な「祈り」を形にする作業に他なりません。
「見えない場所」にこそ、神は宿る
「東久記念 雛屋」さんの製作風景を見ていて、最も感銘を受けたのは、完成すれば着物の下に隠れてしまう部分へのこだわりです。
「見えないからいい」という妥協は一切ありません。むしろ、見えない土台を完璧に仕上げるからこそ、表面に立ち上る品格や、数十年経っても崩れない強固な美しさが生まれるのです。
振り返って、自分の写真はどうか。
その一瞬のために、どれだけ準備をしたか
被写体の背景にあるストーリーをどれだけ想像したか
仕上げのレタッチ一つに、どれだけの敬意を込めたか
これらはすべて、写真という結果には直接見えてこないかもしれません。しかし、その「見えないプロセス」の積み重ねこそが、写真に重みと説得力を与えるのだと痛感しました。
フォトグラファーもまた「祈り」を写す者でありたい
写真は「光の記録」ですが、それ以上に「その瞬間の愛おしさが永遠に続いてほしい」という祈りの結晶でもあります。
雛人形が何代にもわたって家族を見守り続けるように、私が撮る写真もまた、10年後、20年後に見返したときに、その時の家族の温かみを思い出し、感情を揺さぶるものでありたい。
「綺麗に撮る」という技術の先にある、相手の幸せを願う心。 雛屋さんの職人魂に触れ、カメラを構える指先に込めるべき「重み」を改めて教わった気がします。
「ものづくり」とは、自分の魂を削って、誰かの宝物を作ること。 東久記念 雛屋さんの美しい雛人形たちに恥じぬよう、私も一枚一枚、祈るような気持ちでシャッターを切っていきたいと思います。
素晴らしい気づきをくださった職人さんに、心からの敬意を表します。




コメント